AFT2020

このはしわたるべからず

グローバル化が進み、様々な言語が入り乱れたとき、日本語のアイデンティティとして際立つのはどの部分なんだろう。

一休さんは「このはしわたるべからず」と書かれた立て札を見て、橋の中央ではなく端っこを歩いて向こう岸に渡った。
漢字ではなくひらがなで書いてあるからこそできたとんちだ。

「は・し」という2文字の組み合わせが、使いどころによってbridgeとendという全く別の意味を表す。
しかしそれらは、橋あるいは端と漢字を使って表現することで、前後の文脈がなくてもその言葉自身で意図するものをスッと的確に伝えることができる。
漢字は複雑に見えて明快であり、逆に言えば、ひらがなの組み合わせは一見すると平易だが、時にそれは≪意図を伝える≫という言語の最大の目的に照らして決定的な欠陥となる。

その致命的とも言える日本語の欠陥を楽しむのが、
一休さんのとんちであり、百人一首の掛詞であり、おじさんのダジャレである。

ひらがな・カタカナ・漢字を使い分ける日本語は、他の言語と比較してもとても複雑で、だからこそ面白いと私は思う。
この日本語の面白さをどのように伝えよう。

翻訳機能が格段に進歩し、人工知能が世界中の人と簡単に会話をする架け橋になったとしても、最終的に細かなニュアンスや感情の起伏を伝えるのはやはり人間であってほしい。そう感じてしまうのは日頃「日本語」という繊細な言語を扱っているからなのだろうか。
複雑で明快な日本語を一人でも多くの人に伝えるためにも、英語をはじめとした語学を身に付けることはやはり重要なのだ。

しかしかくいう私の語学スキルは、残念ながら箸にも棒にもかからないのであった。

 

 

 

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